置換 chikan 2 Inspired by administrator of "tenkuukaikatsu":minato. Special thanx. |
空だけが毎日蒼く蒼く拡がって、時はあっという間に十日と四の日々をを跨【また】ぎ越した。 「ぅおいてめえっ、弥勒っっっ!!」 「おや、何ですかな、法師殿?」 「ぬわ〜〜〜ぁにが法師殿だッ、てめエ、ふざけた真似してねえで大人しく此方【こっち】に来やがれ!」 「おやおや、私は何も……」 「だ・ま・れ!!」 ずりずりずりと首根っこを掴まれて若い法師に引き摺られて行く半の妖、もとい弥勒。その後を花盛りの娘たちが、ああれえ、と声を挙げてわらわら追い縋【すが】ってゆく。 「違うのです、法師様、その御方は決して悪い人ではないのですっ」真っ先に犬夜叉に追いついた娘衆の一人が、哀れっぽい声で懇願する。 「どうか放してあげてっ」 墨染め衣の袖をしっかと掴まれて犬夜叉がうろたえる内に、他の娘たちまで追いついて、あっという間に女の匂いに取り囲まれた。まるで傷ついた雛を庇う親鳥のような数々の眼差しに捕らえられて、只でさえ女などというものは十本の指で数えられるほどしか知らぬ犬夜叉は、たじたじとなって腰を引く。それでも弥勒の首根っこを引き寄せて、必死に小声でがなり立てた。 「おいこらてめぇ、何とかしろよこいつらっ」 それを弥勒は肩を竦【すく】めて受け流す。 「いえ、私は只身の上話を少々語ってやっただけ。このおなご達は随分と心がお優しい…」 「弥勒、てめえ〜〜〜〜〜〜〜っっ」 大方女達の気を引く為に、半妖の身の上を同情たっぷりに話し回ったに相違ない。頭に怒りマークをぷつぷつと浮かび上がらせて、犬夜叉は拳を握り締めた。それを察知してか、弥勒はひょいと数珠に守られた右の手から抜け出し、あっという間に女達の鉄壁に身を隠して不敵に微笑う。弥勒の語り口にすっかり舞い上がっている女たちは、ここぞとばかりに人情のない法師を蚊帳の外へ追いやった。 「いけません、法師さま。この方に意地悪をなさっては!」 「半分妖怪かもしれないけれど、この人は悪い人じゃないわっ」 顔を赤く上気させながら抗議する娘たちを力尽【ちからず】くで除【ど】ける訳にも行かず、成すすべなくて犬夜叉は歯噛みした。その向こうで余裕綽々な半妖が一匹。緇衣姿の犬夜叉は、思わず風穴を封じる数珠を引き千切らんばかりに握り締る。額に浮き出た青筋がぷっつりと音を立てて切れた。 自分の顔で自分を虚仮【こけ】にしてくれるとは許すまじ……弥勒、てめえ… 「吸い殺してくれる――――――ッ!!!」 法師を被【かぶ】った一匹の半妖が、遠吠えた。……様に思えた。 慌てて下山してから既に二週間が経つ。それは即ち、彼らの魂が入れ替わってからも二週間の時が流れたということ。 『魂は己の身体に最も良く馴染む』 これは少々霊界の事に詳しい者なら常識だ。初め先の風穴のことで随分と胸を潰された弥勒も、すぐこれに気づいて己の間抜けさに苦笑した。こんな異常な事態がいつまでも続く訳がないのだ。二・三日、いや早ければ今日中にでも元に戻れるだろう…。 けれどその考えが甘かったことが、今となっては明白であった。魂が二週間も入れ替わったままだなど、尋常には考えがたい。これは寧ろ誰かの策に嵌った、もしくは何か別の力で元に戻ることが阻止されている、そう考えるのが妥当なのかもしれない。もしや奈落かとも思ってはみたものの、あの時―――二人の魂が置換した時―――奈落の気配があったなら、いくら取り乱していたとはいえ必ず気がついていたはずだ。 今回の事は奈落絡みでも、ない。 (あの時の懸念は杞憂などではなかった、ということか…) 娘達を漸く追い払うことに成功した犬夜叉に、散々追い回されるのをのらりくらりと逃げ出した弥勒は、独り山間【やまあい】の社【やしろ】に佇んでいた。滝神を祭っているのだろうか、目の前を勢い良く流れ落ちる水流には太い注連縄【しめなわ】が張られている。 水圧で起きる風に、真っ白な木綿【ゆう】の四手【しで】がはらはらと舞った。 ざざあ…… (いや寧ろ…) 苦い考えが広がって、鼻の奥がつんとする。滝壷の傍に歩み寄ると、細かい水飛沫が頬にかかった。 滝傍は、初夏となってもまだ肌寒い程の気温を辺りにもたらしている。湿気を含んでしん、と冷たい空気が、滝音に大きく震わされて弥勒の全身を包み込んだ。 ――何か、魂自体に原因がある。 二週間の時が過ぎてなお本来戻って然るべき魂達が元に戻らないという事実が、その考えを裏打ちしていた。そうであるとしか、この状況を説明し得ないのだ。奈落以外にそうそうこんな魂弄【たまいら】を扱える妖怪がいるわけがないし、喩えいたとしても危害を与える目的もなくするはずがない。そうであるにしては、二週間の日々は余りにも平和過ぎた。襲うつもりなら、こちらが十分に混乱している今が好機である筈だ。 奈落でもない、他の妖かしでも、ない。ならばと必然的に引き出される答えが、余りに認めたからぬ事実として弥勒の胸を蝕んだ。 (魂自体に原因がある…それは) それはつまり、弥勒自身に因由【いんゆ】がある、ということ。 (――畜生) (まだ村の娘達と戯れているかと思ったのに……何処行っちまったんだ、あの不良法師) 心の声とは裏腹に焦り高鳴る胸の動悸を抑えかねて、珊瑚は思わず駆け足に近くの山を登っていた。どうせ只の女遊びに興じているだけだと思って昼餉の支度をしていたものの、何故か妙に胸騒ぎを覚えて、何事かの用事に託【かこつ】けそのまま小屋を飛び出した。途中で苦虫を噛み潰した様な有髪僧に出会ってから、余計に胸中の虫ががやがやと騒ぎ出して珊瑚はぐっと唇を噛む。 (まさか……また出て行っちまう積りじゃあないだろうね) そんな事、あたしがさせないから、と口中で呟いて今度は本格的に走り出す。辺りに細かく目を配っていると、ついつい羊歯陰や幹間に目が行ってしまうことが余計、珊瑚の胸を締めつけた。いつの間にやら、こんなにも法師の黒衣を目で探す癖が出来上がっていたのだ。 馬鹿だね、今のあいつは犬夜叉の格好をしてるんじゃないか…! 纏わりつくように巡る黒衣の面影を振り払って、頭の中に鮮やかな朱の衣を無理矢理想起する。けれど、燃えるような紅赫はどうしても勝気な半妖としか結びかなかった。 地面を蹴る衝撃で黒髪が揺れ、ぱらぱらと頬に、視界に絡まってくる。それを邪魔臭そうにばっと掻き上げながら、珊瑚は苛々している自分に心の中で舌を打った。全く、女というものは面倒くさくて仕方がない。体力は男に劣るし、髪だって長くて鬱陶しい。小袖の裾が脚に絡まって邪魔だ。 それに、この胸の中で姦【かしま】しい感情も…。 ――と。 ふと眦に引っかかった朱【あけ】の色に、思わず珊瑚は急停止する。ば、と振り返って目を凝らすと、いや、奴の水干ではなかった。 (朱の鳥居……) 何故こんな所にと思わせる程突然に、けれど木陰の中にひっそりと鎮立する真っ赤な鳥居。その色が余りにも鮮やかで、珊瑚は思わず息を呑んだ。その鳥居の向こうから聞こえてくるはっきりとした滝の音。どうやら随分大きな音なのに、慌てていた自分はちっとも気が付かなかったらしい。滝から跳ね落ちる水滴の所為だろうか、この辺り一面だけ少し気温が低いように感じられる。湿度も高いらしく、少し汗ばんだ肌が立ち止まっていると心地良く冷やされていった。 耳朶に囁きかける水音が、絡まるように全身を包み込んでゆく。 神聖な範疇に抱かれる時に兵【つわもの】の具はそぐわないと、誰かに聞いたことがある。 そんな一般の教えを信じた訳はないけれど、その余りに荘厳な空気に珊瑚は思わず、背にする己の得物を手置【たお】いていた。その上に重ねるように、濃緑の腰巻を解き捨てる。 けれどそのまま鳥居をくぐろうとして、珊瑚はふと立ち止まりもう一度引き返した。 (たまには…最近のあたしは邪念ばかりだから) つ、と後ろに回した手許から、するりと薄桃色の腰紐が滑り落ちる。そのまま緩んだ小袖も脱ぎ落として、真っ白な襦袢を露わにする。そのまま、今度こそ躊躇いもなく珊瑚は鳥居をくぐり抜けた。 足許で先冬の名残の枯葉達がしっとり湿り、裸足の裏に吸い付くように触れてくる。小鳥の声も、何故か此処だけは憚【はばか】っているかの様に、遠く小さい。ただ滝の音だけが轟くように、珊瑚の頭の芯を揺さぶった。 ざざあ… (……あ) 暫し辺りの気に身を任せて歩いていた珊瑚は、滝の白簾の中に先客がいるのに気がついて思わず立ち竦んだ。白銀の豊かな髪が、どお、と音を立てて流れ落ちる水雨の中にしとどに濡れて溶け込んでいる。固く結んだ双の瞼に、重く昏く何かが凝【こご】っているさまは、吸い込むように珊瑚の視線を釘付けにした。 いつも寄せられていて、見慣れているはずの半妖の眉間の皺。けれど今は何故だか、彼のそれとは全く違うものに思える。 (ああ、法師さまだ) 風の強い夜、障子際に浮かび上がる錫杖。それを握り締める右手が、色を失うほどに強く握り締められていることを恐らく知っているのはあたしだけだ。壁に軽く腰を預け、まるで座ったまま眠り込んでいるようなさまを繕いながら、彼の閉じられた双眼はいつも決して眠ってなどいない。 あたしはいつだって、打掛を頬許まで引き上げたまま、見ているんだ。 騙せやしないよ。 ばしゃっ… ばしゃばしゃ… 畜生、誰だ! いくら頭を空白にしようとしても、心に巣食った鬼が邪魔をする。その御しきれなさに苛立っていた弥勒は、追い討ちを掛けるように引っ掛かってくる水音に、鋭く舌打ちをして目を開けた。 打ち付ける激しい水飛沫に思わず視界が霞み、弥勒は慌てて、ざっ、と滝簾から身を外す。強い水圧に慣れかけていた身体が、突然水圧を取り除かれてふわ、と浮いた様な感じに包まれた。座を組んでいた岩から降りると水は軽く胸下位まである。 水面に煌【きら】めく水粒に小さな虹があまた織りなされ、一瞬向かって来る者が誰か判別出来ずに、弥勒は軽く目を眇めた。 ――山神【やまつみ】…? 自分も胸まで水に浸かったままゆっくり近付いて来る女は、目裏【まうら】の闇に慣れた瞳にぼやけて美しく光る。高い高い緑の天蓋から斜めに差し込む陽の光が、じんわりと弥勒の肩を暖めていた。 ――眩しくて、見えやしねえ 「法師様?」 掛けられた聞き覚えのある声に、弥勒ははっとして我に返った。目の前で金色【こんじき】の瞳をを瞬【しばたた】かせている半妖が何だか途轍【とてつ】もなく可愛らしく思えて、珊瑚がくつくつと笑みを零す。 「何やってるのさ?こんなとこで」 ゆっくりと水紋を拡げながら弥勒の側まで掻き分けてゆく。滝壷の水は、まだまだとても冷たくて、珊瑚の頭を予想外にもすっきりさせてくれた。折角の禊【みそぎ】はこいつの所為で未遂に終ってしまったけれど。 「昼餉、折角かごめちゃんたちが用意していてくれたのに、もうとっくに過ぎてしまったじゃない」 ――ああ、おぬしはやはり私の山神【やまつみ】さまでしたな ――…は?今何て言ったの ――いや、何でもありませんよ ――何、気になるね (……っ) とん、と肩に掛かる温かい重み。 「何……?」 いつになく、強く後ろから抱き竦められて珊瑚は途惑った。首筋に埋【うず】められた吐息から、白銀の髪がぱらぱらと零れ落ちて来る。法師に抱かれていると解りつつも、何だかかごめに申し訳ないような気になって珊瑚は慌てて身を捩【よじ】った。けれど絡められた両腕は、法師の身体のそれより幾分細い割りに、強くて…まるで縋りつくように。 意外にも顔に朱は昇らなかった。首に回る腕に、そっと柔らかい頬を傾ける。片手を持ち上げ、自分より一回り大きな獣爪の手に絡ませると、彼の柔らかい頬が降りて来て互いの肌が触れ合った。細かな産毛がさらりと擦れて、静かに体温を伝え合う。 滝の音はもう遠い。 波紋の拡がる滝壷の真ん中で、互いに白い襦袢を纏った二人は微動もせず佇んでいた。濡れて重みを増した白銀の髪が、湿った珊瑚の黒髪と混ざり合い、彩になる。滴り落ちる水の粒が、時折ぽつんと珊瑚の視界を滑り落ちた。 「言いたいことがあるんなら、言っちまいなよ」 誰に聞かれる訳でもないのに、まるで声が響くのを怖れるように、珊瑚が小声で囁いた。密着した二人の間に、くぐもった様に声が弾けて、思わずどきりとする。 「…ねえ」 法師のそれと絡めた指に、少しだけ力を込めて先を促す。けれど弥勒はそれに答えず、きゅ、ともう一度腕を掻き合わせた。 (言ってくれればいいのに) そうすれば、少しは楽にしてあげられる。 何も言わない法師がもどかしくて、珊瑚は少し眉根を寄せた。けれど続いてまた一つ零れ落ちた水滴が、何故だか少し温かかったような気がして、珊瑚は思わず言葉を呑む。空いた片手をぱしゃんと水から上げてそっと彼の頬に滑らせてみると、水飛沫が散って、白銀の髪がもう一筋落ちてきた。一瞬指先が頬に触れると、弥勒は身体を強張らせた。 不安だけが伝わってくる。 どうしたらいいのか解らない、弥勒の魂の不安が。 (…辛いんだ) 薄々、感じていなかった訳ではない。 風が吹けば顔を上げ、右手を見る。右手を見ては顔を上げ、風音に耳を澄ませる。――そんな彼の行動が度々あることを、珊瑚はちゃんと気付いていた。無論その手にはないはずの風の抜け道に、弥勒は確かに怯えていた。 ――きっと怖れているのだ。 自分の身体に戻れば、また風穴を抱え込むことになる。一度知ってしまった呪いのない穏やかな夜を、失うことになる。 それでも彼は、その安穏に甘んじてはいけないと解っていて、だからこそ戻りたくて、戻りたくなくて、己の心の葛藤に苦しんでいるに違いない。心が綺麗な彼だからこそ、己の中の一点の濁りが、どうしても許せないのだろう。 (あたしなんて邪念ばっかりだって言うのにさ) 琥珀を奪った奈落への憎しみに囚われ、悲しみに心を喰われ、挙句自分まで仲間を裏切って、己を失いかけていた自分。自暴自棄になって乱れる自分を、支えて、救ってくれたのはこの人だ。…穏やかな彼の笑顔だ。その声だ。 その男に虜にされて、自分はまた一つ、乱れる心を増やしてしまったというのに。 (随分と手前勝手な男だね) 一時くらい、邪念に落ちることは誰にでもあると…そんな自分を受け容れてくれたのは彼ではないか。その彼が、今度は自分の中の鬼に怯えているとは、人間の性など解ったものではない。 ふ、と一瞬笑みを浮かべると、珊瑚はいきなり両腕を振りはらった。そのまま、意外にもあっさりと外れた彼の手首を捉えて振り向き、珊瑚は眦を鋭くする。驚いたような顔でこちらを眺める法師を、すっと半眼に眇めて見詰め、彼の耳朶【みみたぶ】に唇を寄せて囁いてやった。 ――元に戻らなきゃ、これ以上はおあずけだ。 よろこんでいる自分が、どこかにいた。 風穴がなくなって、右の手に耳を押し当てても風音【かざね】が聞こえない身体になって、よろこんでいる自分が。 元に戻りたくないと、願っている自分が。 ――だから、戻れなかった、こんなに時が流れても。解っていたのに、自分が戻りたいと心から願えば、戻る事など容易いと、どこかで解っていたのに。 卑怯なのは、自分だ。 済まないなどと犬夜叉に言ったって、それは偽善で、あいつは結局見抜いていた。俺の心の葛藤を。 ――突然口を開いて、珊瑚が何かを囁く。 (なんだって…?) 「なあんてね、冗談だよっ」 ぱっと離れて、娘はぱしゃぱしゃと水を跳ね上げながら、滝壷の縁まで駆け寄ってゆく。真っ白な襦袢と、真っ白な水飛沫が視界を彩っている。 そして彼女は、振り返って花咲くように、笑った。 ――ああ、おぬしはやはり私の山神【やまつみ】さまでしたな。俺の心を… ずっとざわめき続けていた心が、今の一瞬、真っ白に凪いだ。 何か、眩しく白い耀きが、男の首筋からはじけ出す。それは優しく強く耀きながら、森の向こうへと散じて行った。 ぐわらッ。 けたたましい音を立てて戸口の扉が悲鳴をあげる。 突如目の前で動きをぴたりと止めた法衣姿の男が、とうとう元の弥勒に戻ったと解って驚いていた矢先だ。かごめは吃驚したまま、固まった顔を戸口の方に向けた。 ――全く何だってこんなに騒騒しいの? 「弥勒〜〜〜てめえ……俺の身体でッ!」 「だから〜〜っ、違うって言ってるだろっ!?」 盛大な叫び声と共に二つの影が飛び込んできた。差し込んだ光が弾けるように眩しくて、かごめは一瞬目を細める。その肩口を今にも抱きしめんばかりの格好で、弥勒も眩しそうに掌を翳した。 つかつかつか、と歩み寄って来た犬夜叉が、その二人の体勢に頭から火を噴出させる。そのままぼんやりした顔をしている弥勒に掴み掛かろうとするのを、何故だか盛大に顔を赤くした珊瑚が慌てて後ろから捕まえた。 「一寸待ちな、違うんだって、誤解だってば!」 「違うって、珊瑚っ!じゃあおめぇの、あのカッコは何なんだよ!?」 その言葉に、珊瑚は一瞬たじろいで掴んだ犬夜叉の肩を離す。そのまま、柄にもなくしどろもどろになって歯切れの悪いことをぶつぶつと呟くしか出来ないでいるのは、本当に何かあったせいなのだろうか。 ――あの格好? その言葉に気が付いて、思わず乗り出していたかごめは、ぴた、と動きを止める。 そう言えば犬夜叉は上半身白い衣のままだ。珊瑚も腰巻をしていないし、着ている小袖も随分と乱れきっている。挙句よく見れば二人とも頭からずぶ濡れではないか。 思わずさあっ…、と血の気が引いたかごめを見て珊瑚が慌てて否定する。 「かごめちゃんまで…っ、違うんだったら!もう犬夜叉、馬鹿、あんたが誤解するから!」 犬夜叉は兎も角、かごめにまで有らぬ疑いを持たれてはかなわないと、珊瑚は益々もって立場に窮した。一体あの状況をどう説明してやれば、この面々は納得してくれるだろう…。半ば諦めつつ、いやそんな訳にはゆかぬと必死に言い訳を捻り出していた珊瑚は、蒼褪めたかごめに見詰められて今度こそ本当に頭を抱えた。 「だからー、あれは……」 「で、珊瑚、続きはいつがよろしいですかな?」 びしっ…。 犬夜叉とかごめの顔が、同時に凍りつく。 いつの間に回復したのやら、いつものように不敵な微笑を浮かべた法師が、しっかと珊瑚の肩を抱いていた。 「…こンの……ッ馬鹿法師〜〜!!」 「弥勒――――――ッ!!」 「ああっ、かごめぇ!」 七宝の悲痛な叫び声がこだまする。その声をどこかに聞きながら、かごめは世界がぐるりぐるりと勢いよく回り始めるのを感じていた……。 青い青い夏の空。 ――いやいや、少し悪戯が過ぎてしもうたかの 山間【やまあい】の小さな村から挙がる賑やかな声。それを、爽やかな初夏の風が面白がるようにして巻き上げてゆく。 ざあ…… もう一度大きく上がった風に、微かにしわがれた老人の声を聞いたような気がして、紅白の小袖の娘が一瞬ふ、と立ち止まった。 ――いやいや、少し悪戯が過ぎてしもうたかの ざあ…… でもまあ、ちゃあんとおまけは付いておったじゃろうて。 青い青い夏の空。 それはきっと、若者たちに気を惹かれた青空の、小さな小さな悪戯心。
おそまつ。
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