予感 yokann 1 |
運命とは何と残酷なものなのだろう。 生きたいと願うものは死にゆき、死にたいと願うものは生き長らえる。 望みは穿たれ、道行きも閉ざされ、それでも、ただ、生を貪って。 嗚呼、あの空の果てにもしも…。 もしも世を領【し】ろし召さるなら、梵天【ぼんてん】よ――我が望みを聞き給え。 どうか忌々しき吾が玉の緒を、狂気の前に断ち切って――。 時は今を遡る事五百余年。 日々戦火が絶えず、民は死に、亡者があちらこちらを彷徨い、世に因業【いんごう】の気が蔓延【はびこ】っていた時代。自然死魂【しにだま】を喰らう鬼は増え、あちらこちらに昏い怨府が顎【あぎと】を開く。所構わず吹く魔風【まかぜ】に攫われて、昨日まで居た人が今日は居らぬなど、日常茶飯事の出来事――世の中は忌と禍事【まがごと】に満ち溢れ、その惨劇は天壌無窮【てんじょうむきゅう】に続くが如く思われていた。 けれどそんな時代の真っ只中にあって、世間の狂騒を全く与【あずか】り知らぬ村もある。 京の染物よりもなお鮮やかな紅葉の錦、清らかな谷川。その美しい天嶮【てんけん】に守られて、その小さな郷村は戦の硝煙を浴びる事無く、静かな時を刻んでいた。 ぱかぱかと気楽な蹄【ひづめ】の音が、刈り入れを間近に控えた田圃【たんぼ】の畦道に響く。白鹿毛【しろかげ】の馬に乗って辺りを見遣る老婆は、質素な緋袴と生白【きじろ】の衣【きぬ】からして長年村を総べてきた巫女かと思われた。柄振【えぶ】りや鍬を手に空き畠を均【なら】していた村人達は、巫女の姿を捉えると各々の仕事を休めて挨拶の言葉を投げかける。 「楓さま、様子見はいかがでした」 「今日は日和も良うございました。女房【にょうぼ】が採ってきた葡萄蔓【えびかづら】、後でお届けします」 いつもと変らぬ伸びやかな会話だ。野良を纏った若い男も、年老いた爺【じじ】も、皆どことなく穏やかな表情を浮かべている。西方ではまた一つ国が塵と消えたというのに、この村が平和なのは何と幸運なことなのだろう。 「葡萄蔓か…良い季節になったの。私は要らぬよ、お前さんところの女房に食べさせておやり。腹の子の為にも養をつけてやらねばいかん。それはそうと…」 楓は一旦言葉を切って、暫し視線を漂わせる。実りの時期を迎えた村の畠では、ただ豊かな作物の金波だけがどこまでも続いていた。そのずっと向こうまで目を走らせてみるが、やはり目的の少女の鮮やかな衣装は目に入ってこない。楓が諦めて視線を落とすと、妻の腹の子に暫し思いを馳せていた男が、気付いたように楓の言葉を続けた。 「かごめさまでしたらさっき、椛【もみじ】を御覧になると山の方へゆかれましたよ」 「ほぉ、椛をかい?それにしても今回はまた、発ったと思うたらすぐ帰ってきたもんじゃの。よう喧嘩するからな、あの二人は」 そう返しながら、楓はあでやかに色づいた連山へ目をやった。まだ少々緑の雑じる紅葉が、そろそろ傾きかけてきた橙【だいだい】の陽光に照らされて、一層輝きを増し目に沁みる。森の口にある秋の野には、乱菊に紛【まぎ】れて今年も、姉の名を持つ花が咲いているのだろうか。 しばし黙り込んでしまった巫女に、村の男が心配そうな声をかける。 「楓さま、探しに行かれますんで?夕暮れは冷えますに、良ければあっしが代りに探して…」 「いや」 少し眉を顰めて見上げる無骨な、けれどきっと心優しいのであろう新婚の男に、楓はふっと緩い笑みを向ける。皺の刻まれた手ながら割合にしっかりとした動きで、馬の手綱を繰ってみせた。 「わざわざ探しに行かずとも良いじゃろ、寒うなれば帰っても来るわ。済まんかったな、邪魔をした」 言いながら楓がひょいと鐙【あぶみ】を打つと、白鹿毛はまた、ぱかぱかと軽やかな音を立てて歩き出す。もう一度挨拶の声を上げながら仕事に戻る男衆に、お主らも早く帰れよと一言残して、楓は秋色に染まりゆく風景の中、村外れの庵【いお】へと家路に急いだのであった。 韓紅【からくれない】に 水括る――。 川を染めゆく紅葉を、異国の紅色に仕上げられた絞染めに喩える…風流の心というものは、長く時が流れても変わらないものである。 この歌を詠んだのは、古【いにしえ】の世に生まれた貴族の男であると言う。その一生がどのようなものであったかは及び知らぬが、上流世界に生まれた彼が見た紅葉は果たしてここまで鮮やかだったろうか。 都から遠く離れた山中の、小さくささやかな谷川。透明な水が苔生【こけむ】した岩を縫い、時々真白い飛沫を上げて踊ったり、沈んだり。見回せば全くの赤と黄と―その合間に急な角度で切れ込んだ渓谷を、川は小気味良い速さで流れている。はらはらと舞い落ちる幾多【いくた】の椛が川を染め、まるで本当に極上の綴れ織のようだ。その落ち葉の一片【ひとひら】は、水面【みなも】に近付いた途端すっと吸い込まれるように水と馴染み、流れと共に次々と織り込まれて一つの紋様【もんよう】を成してゆく。どんな錦織部【にしごりべ】にも真似できなかった芸術が、自然という神秘の腕【かいな】の中、いとも簡単に紡ぎ出される。それは一瞬たりとも止まることなく流れ去り、形象として残らない。けれどそれだからこそ、その美しさは儚く、人の心を惑わして離さぬ夢の際として、古来からずっと不動の憧憬を浴びてきたのである。 ――と。 ばさりばさり、と枝々が大仰に揺れ、色付いた椛が盛大な円舞を起こした。まるで赤い吹雪の様に、数多の葉が細い渓谷へと吸い込まれてゆく。大方が谷川に呑まれてすぐ消えてゆく一方で、緩い流れに引っ掛かった僅かな椛が岩陰の淀みへと蟠【わだかま】り、織物の程好い挿し色となった。 ばさり、ともう一度枝が撓る。音に伴ってまた紅葉が散り、その赤に紛れて今度は豪奢な白銀が走った。 目もあやなり、とはこういう光景を言うのだろうか。この風流な寸劇の主は、人間ではなかった。世にいう異形の者――妖怪。けれどそう言い切ってしまうには、その姿は余りにも華麗で鮮烈だった。 この紅葉の錦の中にあって、決して色褪せることのない烈火の如き緋の衣。水干の豊かな撓【たわ】みの上に弾む、滝のような真珠の髪。吊り形の眉宇【びう】の下で輝く双眸は、まるで爪の黒曜石を閉じ込めた太古の琥珀が如く。薄い唇の端から覗く鬼の牙と、筋張った指先を飾る鉤爪さえ無ければ、山の瑞気に住まう神仙と見紛うてもおかしくはない。けれどその美しい妖怪は、枝の高みで半瞬視界を巡らせた後、その端麗な顔に見事なまでの顰め面を描いてみせた。 半妖、というのは余り世間に知られてはいない。純然たる妖怪が数多閻浮【えぶ】に溢れ、我が物顔に闊歩している戦国の世にあってすらその存在は希少だ。彼らの存在は妖怪側にも人間側にも霊異【れいい】として認識されており、その畏怖心故に、半妖に纏【まつ】わる逸話は根も葉もないものが多かった。 「血肉を喰らえば人智を越えた力がつく」、これも然り。 そしてその様な珍獣扱いを受ける一方で、人と物の怪という相容れない存在の間にもうけられた半妖は、卑しき兇子【きょうし】、悪しき咒鬼【じゅっき】と蔑まれる事にもなる。 半端者の宿命を背負う彼らは一生涯、人からも妖怪からも追われ続けるしかない。 今この錦の中に佇むあどけない少年も、その過酷な運命の下に絡め取られてしまった、半妖という生き物だ。 その昔西国に勢力を張った犬の大妖怪と、中流階級の貴族として育った人間の姫。彼はその二人の間に生まれた一人息子だった。父が身罷り、後を追うように母が死んで此の方、彼は記憶にも残らないほどの回数、追い追われ、傷付け傷付けられて生きてきた。まるで世間を知らぬ程に幼かった頃からの思い出が、全て血と殺戮の色彩に染まっている。この前いつ笑ったのか…いや笑った事など本当は無いのかも知れぬと、そうも思いたくなる程に虚構、嘘、偽り…そんな索莫とした言葉の似合う、枯れた、渇いた生き様だった。 そう――あの巫女に、逢うまでは。 ききょう―――。 一体その名を何度呼んだ事だろう。人の名を呼ぶことなど知らぬ心で、唇で、幾度も幾度も繰り返し…。けれどその愛しい名前は、もうただ虚空に散りゆくだけで誰一人として答【いら】えを返してはくれぬ。過ぎ去った、出来事。もうあの濡れ羽髪の美しい女は、どこにも居ない。 (桔梗…) ひらひらと、間断なく赤が舞い落ちる。朱紅一色の大樹の太枝【ふとえ】に佇み、山気の満たされた渓谷の狭間を茫洋と眺めながら、少年は遠く過ぎ去った記憶を縋るように辿っていた。それはもう五十年も昔の事――けれど今ここで想いを馳せる少年にとっては、訪れて日の浅い出来事だ。それは永劫にも思えた眠りを越えて、まだすぐ傍にある。 (…どうして) どうして俺を…お前が。 互いに想いを通わせあった筈の巫女。冷静で機敏で、優しくて儚い神の娘。愛し合って、求め合って、狂う様に咲いて、そして散ってしまった――在りし日の恋。その動悸も高揚もまだ真新しい記憶のままなのに、その後に続いた惨劇と昏睡と覚醒とが目まぐるしすぎて、何がなんだかまだ解らない。 五十年もの眠りの間――ただ何もなく拡がる暗闇の澱【おり】に浮遊しながら、少年はずっと繰り返し同じ夢を視ていた。愛した女がその目を憎悪と悲しみに滾【たぎ】らせ、咽喉【のど】も掻き切らんばかりの嬌声で己に向かって「死ね」と絶叫する。その女の残影に向かって、少年は何度も答えを返そうとしたのだ。違うのだと、何がとは解らなくともただ、「違う」のだと。けれど胸に突き刺さった矢が余りに冷たくて、体中が凍えて…言葉を紡ぐ事が出来ずに。 …長い、長い、悪夢だった。 そして今でもまだ、その残夢から抜け出せないでいる。 (俺は、本気だった) 本気でお前を……だのに、何故。 それは自分の賤しい生まれの所為なのだろうか。誰にも望まれずして生れ落ちた忌み子が、愛されることを望んだりなどした罪業なのだろうか。たった一人の女に…愛を求めた、ただそれだけで。 …解らなかった、何がいけなかったのか。桔梗は確かに己の前で一人の女だったし、己とてその彼女の為に人として生きる道を選んだ。幼き頃から唯一の術だったこの身体も、爪も、牙も、全て捨て去る時が来たのだと、そう信じていたのに。それの何処が間違っていた? それとも、あの女が自分の意思で、俺を消し去る道を選んだと…? ――信じられるものか。 あれ程までに互いを知っていた、想っていた。心の闇も、瞳の奥の優しさも、全て全て分かち合っていた筈だ。それなのに。ただ己が半妖であるというだけで――! 信じられない。信じたくなどない。 (答えろよ、桔梗…!!) ばきっと異質な音が響いて、大樹の枝が幹から圧【へ】し折られた。無残な樹の骸【むくろ】が、赤い風切り羽根を撒き散らしながら渓谷の底へと堕ちてゆく。けれど少年はその様を虚ろな双眸でじっと眺めていただけで、遥か下方で木っ端の砕け散る音が響いても、目の色一つ変えなかった。 ――想いだけが遠い。 時の大河に流されて、やっと辿り着いたはずの世界は寂しく、辛い。もう過ぎ去った世界に、少年はきっと心を置き忘れてしまった…何度も季節は巡り、今また新しい秋が訪れようとしているのに、彼の想いはずっとあの頃に凝ったまま。 あの頃と同じ、秋――。 ぴちゃん、ぴちゃん、と川面【かわも】の水が跳ね上がる。 ゆったりと流されてゆく孤舟の上の二つの影が、茜色の日に照らされて、澄んだ水底の滑らかな砂利に揺らめく影を落としていた。 夕焼けの色を吸い取った清らかな川水は、とろりと円【まろ】やかにたゆたい、質感が緩【ゆる】い。両岸には色付いた葦【あし】が深々と茂り、涼しい川風に煽られてさあっと音も無く揺れる。豊潤の季節を向かえ、木も、空も、風も――全てがその身をたわわに膨らませていた。 さらさらと流れる川の旋律と、船底が時折ぎいっと軋む音…それ以外に耳朶を掠るものは何もなく、虹彩に映る色は何処までも暖かい。 言葉を交わさず…ただ柔らかな想いに身を任せて、二人の若い恋人は酔いしれたように、美しい秋の風景に魅入られていた。 ぴちゃん。 ぎい…。 その光景を見た誰しもが、その美しさに一瞬息を呑み、そして嫌忌に眉を顰めよう。まるで清浄に見える二人の邂逅…その清らかさこそが禍々しい事実と表裏一体なのだと、その者たちは知っているからだ。 生涯その生まれの罪業に蝕まれる、少年。 生涯その生を神に捧げねばならぬ、娘。 互い寄り添うわけでもなく、目を合わせる訳でもなく…ただ淡々と共にいる時間を感じる二人は儚くて、そして美しい。それは、許されざる恋ゆえの、いずれ崩れ去る恋ゆえの、切ない末期の煌めきなのだろうか。 玻璃【がらす】のように美しく、脆い恋。その耀く瑶【たま】を叩き割りたいと望む者は、もう幾百も幾百も…全く間近まで迫っている。けれどそんな事実にすら目を背けてしまうほど、若い二人は溺れていたのだ――それはそれは鮮麗な、恋という名の狂乱に。 ぎ…と板が鳴き、舟の均衡が僅かに崩れる。紅白の装束に身を包んだ娘が、衣の袖から出る細い腕を川面に向かって差し伸べていた。流れの面には、どこから落ちてきたのやら、紅に染まった椛が幾枚も幾枚も流されている。水面【みなも】を軽く掬った娘の指に、滑るように下ってゆくその一葉が吸い付いて絡め取られた。 白い指と川水が戯れて細かな水滴をきらきらと弾き、様子をじっと眺めていた少年が眩しそうに黄金の瞳を眇める。椛を指先で弄【もてあそ】ぶ娘の黒髪が、夕陽を受けて耀き、さらさらと乱れた。 ――出会ってからどれほどの時が過ぎたのだろう。 どれほどの時を…共に過ごしたのだろう。 頭にぼんやりと霞【かすみ】が懸かったようだった。彼女と出会ったのはまだほんの数ヶ月前のこと、だのにその前にあった事が今はもう遠い昔の様に思われる。渇いた血の感触と、冷たい死の香り…それだけしか知らなかった、それが全てだった彼の前に、彼女は突如訪れた――それはそれは清廉な香りを、その全身に纏って。聖【きよ】い世界に身を置く、美しい女だった。思えば初めて彼女を垣間見た時から、少年の中の何かが変わり始めていたのかもしれない。自分の賤しい生まれも、疎【うと】ましい追捕者も、それらを全て消してくれる筈の、不思議の珠も――全てが今はもうどうでも良かった。そう、それはまるで…現実と夢とが、入れ替わってしまったかのようで。 ぱしゃん、と何かが水面を乱した。銀色の鱗がキラキラとさざめいて、また水底へと沈む。 「何を…考えている?」 柔らかな声が掛かって、暫し思索に耽【ふけ】っていた少年は濃金の睫毛を上げた。気付かぬうちにさっきからずっと、娘は自分を眺めていたらしい。少し小首を傾【かし】げて此方を見る娘の頬は、夕陽を受けて一層白く透き通って見える。壊れそうなほど儚いと、少年は思った。 「別に…お前こそ、何を考えてた?」 本当の事など言える訳もなく、少年は僅かに頬を赤らめて話題をそのまま返す。その言葉に、こちらもまた頬を薄く染めた娘が、別に、と一言だけ答えた。 二人の視線が柔らかく交わって、微笑みが過【よぎ】る。お互いの想いが通じる一瞬、秋の空も赤く染まった。 そう、言葉など必要なかった。ただ瞳を絡ませあうだけで、触れずとも、言葉にせずとも、互いの想いは伝わる。だから、何を言う必要もない。何もかもが似通った、何もかもが脆い二人だからこそ、まるで貝の口が合わさるように、重なってゆくのは容易いと。 そう、思った――。 ある秋の夕暮れの、たった一刹那。 二人は気付いていなかったのだ。 傷と傷を庇い合って、被【おお】い合っても、決して癒されはしないことを。 気付いていなかった…いや、本当は気付かぬふりをしていただけかもしれない。報われぬ恋なのだとどこかで知っていた、だからこそ甘い気持ちに全てを委ねて、沈む。 迫り来る魔の手も、崩れゆく絆も…そして。 ――やがて夢は醒める。 ――散る。 出来る事なら死んでしまいたかった。この世にもう一度目覚めたくなどなかった。あのまま…昏い昏い夢の中に漂いながら、永劫足掻き続けることになろうとも、その方がまだ罪滅ぼしにはなったものを。今更に一人だけ――彼女を失った自分が一人だけ、生きてゆくことなど出来そうにもない。己は、彼女の愛も、色も、声も、彼女自身すらも、もう二度と手にすること叶わぬというのに。そしてこれからも、きっと手に入れることは出来まい。 眼下に赤と黄の海【わた】が拡がる。彼女と共にこの景色を見たことがあったような気も、無かったような気もした。 (もうどこにも居ない…) 『桔梗おねえさまは死んだよ。おぬしを封印した同じ日に。』 あの時、確かに楓はそう言った。 思えばどうして、彼女はこの世を去ったのだろう。矢を手向けたのは彼女の方で、自分は一度も爪を翳したりなどしなかった。そう言えば末期に垣間見た彼女の肩を、何かが赫く染めていたような気もする。あれは、彼女自身の生血だったろうか。 それとも只、燃える焔【ほむら】を映し出していただけだろうか。 ――何か、あったのか? 訝しげに曇った少年の顔は、けれど一瞬の後に自嘲のそれへと変わる。白刃を孕んだ唇を歪め、馬鹿馬鹿しいと言葉を吐いた。 憎い女だ。ただの女になると言った同じ唇で、「死ね」と呪縛の詛を紡いだ女だ。憎い、憎い、憎い――だのに、愛しくて。 ――忘れられない…。 だから、死んでしまいたかった。喩え悪夢を彷徨い続けねばならぬとしても、出口の見えない蒼穹を独り永らえるよりは幾らもましだ。艶【あで】やかな色彩が目に映る度、椛がはらはらと舞い降りる度、谷川のせせらぎが耳朶を掠める度…思い出して止まない、けれど二度とこの手には戻らぬ。分かっているから、辛くて辛くて胸を掻き毟りたくなる。血を吐きそうになるのだ。 賤しき兇子との蔑みを、そして自分自身でも感じていた罪悪感を、結局逃れる事は出来なかった。彼女と共に過ごしたあの白日夢の日々でさえもずっと…頭のどこかに引っ掛かっていた。半妖め、半端者め、下卑【げび】のお前が愛に惑溺するなど、許されると思うてか、と。囁く声に気付いていた。それでも――もしかしたらこのままと、願ってしまったが罪。 (結局俺は打ち捨てられた) ――全てに。 凡【およ】そ日の当たる世界に人々が愛でるもの、全てに。見棄てられた――それは、愛しい女にすらも。 だから、願う。 玉の緒よ掻き切れん、と。 醜い、忌まれるばかりの命など、繋いでいても仕方がない。 悲しみに塗れて、望むことすら許されなくて、きっといつか気が狂ってしまうに違いない、ならば。 散ってしまった華を追って…。 昏い塊【くれ】が込み上げる。凄まじい吐気を感じて、少年は真紅の胸元を強く掻いた。手の中で結紐がぷつりと途切れた感触がする。 ――慟哭。 けれど蜜色を湛えた秋空は何処までも柔らかく、山の薫りはどこまでも豊熟に、宿罪に身を震わせる少年をただ暖かく照らし出すだけ――。 |
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