Love me,――or not? “ My Girl ! ” 3 |
――ずっと、考えていた。 開いていた窓から彼女の部屋へ入り、すこし熱っぽく眠り込んでいるのを知って、じっとその寝顔を見詰めて。頬に手を触れようとして、ためらって、結局毛布を掛けてやるだけで出てきてしまった。 その後…彼女が起きるのを確認するまでだと自分に言い聞かせつつ、かごめの部屋の窓が一番良く見える神木の根元に、ただ独りうずくまったまま――ずっと、考えていた。 …最近、かごめの前で普通の自分でいられない。 折っていた右ひざを伸ばし背を幹にあずければ、傾いた身体は自然と少し上を向く。そのままことりと頭まで幹にもたせ、犬夜叉は自分の上に広がる神木の腕【かいな】を茫洋と眺めた。 夏の夜空は暗くない。夜が更けて太陽が裏側に回っても、まだどこか高い天は、澄んでいた昼間の蒼をその帳【とばり】の表面にうっすらと残している。黒い…でも蒼い。濃紺、のような。それを薄めて、また濃くして、幾度も塗り重ねた色だ。その絶妙な夏色の夜空に、黒々とした神木の枝がくっきりと伸びている。 (分からねえ…) どれだけ考えても、どうしても分からない。そしてそれが分かるまで、今夜こそはここを動かずに、答えをひねり出してみせるつもりだった。 欲情しないなんて、嘘だ。弥勒が普段から言っていること、女は優しく抱くものだとか、男ならみんなそうだとか、あながち間違ってはいないのは十二分に承知している。 手に入れられるものなら…いや手に入れられようが入れられなかろうが、とにかくかごめを今すぐ自分のものにしてしまいたいと、そう思うなと言われたって到底無理な相談だ。妖怪でも動物でも人間でも、男は女を欲しがるもの。やつの言葉を借りれば、それが世の理【ことわり】、夜の理。 …それが好いた相手なら尚のこと。 (ちっくしょう) それでも――そうとわかっていても。犬夜叉はかごめに手をかけられなかった。 恐れているのか?…だったら、何を。 『…ガキっぽい我侭も大概にしやがれ』 そう言った弥勒の言葉が、今でも頭の中を渦巻いている。 彼女の前で、自分が我侭すぎるのは知っていた。必要以上に大袈裟になって、怒ってみたりすかしてみたり。まるで母親の気を引きたがる子供みたいだと、珊瑚に言われた事があったがまさにその通りだ。でもそれは決して、彼女を母親の代わりにしているからではない。そんなことはあえて考える意味もない。 女として好いている、当たり前だ。 (でも…) でも、かごめとの間には何かもう一つ、クッションがある。素直に惚れた腫れたと言えないようななにか。包まれたい、というか。 ――許されたい、というか。 自分の全てを許して、受け止めてほしい。受け容れてほしい。 それを確かめたくて…我侭になって、態と困らせて、許してくれる彼女を自分は見たがっている。そして彼女はいつも、それに答えてくれた。 「しょうがないなあ」とか「まったくもう」とか、ちょっと渋い顔をしながらも目が優しく笑っている。犬夜叉はそれを見て――安心する。 自分は彼女に許されている、そんな気がして。 (大馬鹿だ) …分かってる。 彼女は誰にでも優しい。自分にだけではない、七宝にも雲母にも珊瑚にも弥勒にも…行きずりの旅人にすら優しい。自分をほっと安らがせてくれるあの特別な笑顔を、誰にだって無条件で向ける。溢れるほど向ける。 その笑顔は自分にだけ――そう思ってる訳じゃない。それではまるで嫉妬だ。そうではないが、ただ…。 不安、だった。 彼女の咲かせる笑顔の花が、決して自分だけのものではないのだと、思う度不安が胸に巣食ってゆく。そうなるともう、自分では手がつけられないのだ。 彼女の不機嫌をあおり、怒らせて怒鳴らせて困らせて――どんな我侭を言っても最後には必ず許してくれるのだと、そう思うことでいつも自らに確かめていた。 自分は彼女の「特別」なのだと。彼女の中で自分は、唯一無二の存在なのだと。 風に巻かれて、空を覆う木の枝がざわざわと揺れた。もともと寒暖にうといはずの素肌が、空気の流れだけで「寒い」と感じている。寒いのは今のお前の心の中だと、風の音が嘲笑【あざわら】っているかのようだった。 闇に染まって暗褐色にみえる水干が、あおりあおられてばたばたと鳴る。その音がさも鬱陶しいかのように、犬夜叉はふっと睫毛を落とした。乱れるような滝の銀髪が、風と絡まってその頬を叩く。 (もしも) もしも、触れたら。 彼女は自分を受け容れてくれるだろうか。許してくれるだろうか。 ――答えは恐らく「肯【イエス】」。 でもそれがいつもの笑顔と同じ「肯」だったら――それは嫌なのだ。『しょうがないなあ』とか『まったくもう』の「肯」を貰うくらいなら、拒絶される方がいい。 そうではない、それでは足りない。もっともっと求めるように――かごめに「肯【イエス】」と言ってほしい。 (かごめは…) かごめは俺が必要だろうか。 勿論、敵から身を守るという点では必要だろう。戦いの時はいつも、彼女は自分の背を頼りにしてくれている。自分もそれが分かっているからこそ、彼女のために命を賭すのだ…彼女に答えるために、不器用な「特別」を伝えるために。今はそれしか方法を知らない。 ――かごめは俺が必要だろうか。 一緒にいてもいいかと、彼女は自分に聞いた。いてくれるのかと、問い掛けの形で犬夜叉は返した。その時はそれが、お互いの想いの答えだと――信じて疑わなかったけれど。 時が経つにつれ、心のを満たしていたものは徐々に流れて逃げてゆく。そしてその増大した虚無の空間を、不安という新しく芽生えた感情が埋め尽くし、支配していた。 (やっぱりいた) 薄地のセーラーの上に、ウールで織った少し大きめのカーディガンを羽織る。お母さん愛用のサンダルを軽くつっかけて、かごめは御神木の方へ向かった。 足元を照らすために取り付けられた電灯が、境内の石畳を淡色【あわいろ】に浮かび上がらせている。その分周りの闇は濃く見えて、部屋の中で感じたよりずっと夜が深まっているように思えた。白い電光色がかごめを不完全な球で包み、地面と触れ合ったところにぼんやりとした円形を描き出している。 かごめはわざとその円の外に出て、漆黒に身を浸けた。 (御神木かな) 急に押し寄せる闇に身を寄せて、心の中でつぶやく。これはただの勘だったが、なぜだかどうしてもそれが正答だと思えてならなかった。犬夜叉は絶対、あそこだ。 この勘のよさがテスト中に働いたらねー。そんな風流もないことを思い、苦笑が浮かぶ。 そしてはたして、予想通りであった。 からんからんというサンダルの音で犬夜叉も気付いたらしく、俯いていた顔がゆっくりと上がるのがこちらから見えた。 (あれ?) 今一瞬、どこか寂しそうな表情に見えたのは、樹の影で一層闇が色調を下げているからだろうか。とにかく、大丈夫、ともう一度自分にそう言い聞かせて、かごめは注意深く頬に笑みを乗せてみる。 ――上出来だ。いつも通りに笑えている。走り出しながら自分の中で確認した。 「犬夜叉!」 結構風が強い。煽られるようにして犬夜叉のそばへゆくと、犬夜叉はふっと顔を逸らしてしまった。まだ機嫌悪いのかしら…それとも具合が悪いのかな。案じながら、隣の下草にすとんと座る。暗すぎて、お互いの表情がよく読み取れない。 「平気なのかよ」 「…?何が」 「おめえ、熱出してただろ」 ああそうか。 犬夜叉はあたしの部屋に来てたんだった。 思い出して、同時に毛布の事も頭に浮かんだ。今度こそ自然な笑みがのぼってきて、かごめは頬を緩める。 「大丈夫。犬夜叉が毛布掛けといてくれたもの。もう平気よ」 そっか、と呟いた犬夜叉は、それでもやはりかごめの目を見なかった。不機嫌そうに眉をしかめるものだから、ただでさえ怒った様な顔がますます具合の悪いことになっている。子供が見たら泣いて逃げ出しそうだ。 (あーあ) ラブラブとはほど遠いなあ。…というより、まだ恋人同士かすら確認してないんだっけ? 『かごめも今は彼とうまくいってるんじゃないの』 …思い出してしまったが、今はもう諦めがついている。彼が怒ったり拗ねたりするのは奥手なせい、自分を女として見ているからこそ、余計にそんな態度になるんだ。そう思おう。 ひとしきり考えて一人納得すると、かごめはすっと立ち上がった。そのまま少し腰を屈め、手を差し伸べて犬夜叉の顔を覗き込む。 「ね、今日はうちに泊まってってよ。お母さんもじいちゃんも草太も、お見舞いに行っちゃって今日は帰って来ないんだ。ほら、女一人じゃ物騒だし…寂しいし」 最後にちょっと本音を混ぜてみたが、犬夜叉が反応を示す気配はなかった。いや、ぴくりと耳を動かしたから、心の中で反応はしていたのかもしれないが。 「ねえ、犬夜叉。どうかした?」 虚しく手を広げている訳にもいかず、仕方なく空いた掌を膝にあてたまま、かごめは犬夜叉の横にかがみこんだ。身体ごと傾き、強引に犬夜叉と目を合わせる。地面を睨みつけていた金色の目が、やっとかごめの顔を映した。 「聞ーいーてーるーのっ!立たないならあたしも動かないわよ?風邪引いちゃったら、明日むこうに帰れないかも知れないなあ」 これはかごめの常套手段である。しかも効果テキメンだ。大概の事なら、犬夜叉はこういう一言ですぐかごめが思ったとおりの行動に移ってくれる。勿論、本人は不本意満々だけれど。 「…ね?」 悪戯っぽく、にこっと笑って上目遣い。止【とど】めだ。これで動かなければ、もう後は言霊のおすわりしか残されていない。 ――が、どうも犬夜叉は後者を選ぶ腹づもりらしかった。折角合わせた視線を、嫌そうにまた引き剥がしてくる。 (こいつ…可愛くない) 仕方あるまい。 「おす…」 わり。 その最後の二文字が、呑み込まれた。
次章、やばいモード突入です。
まだ18禁じゃありませんが、苦手な方はご注意を。 |
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